ブログキングダム〜自分探しの旅ブログ〜

まだ見ぬ、「やれば出来る」と言われていたあの頃の理想像へ向かって、本気を出してみるブログ

夏休みを終えて

長い夏休みが終わりました。



僕の誕生日、9.7に向けて最後の追い込み。

9.5、6にかけて
自分が生まれ変わるというプロジェクトに向けて、日々を過ごしています。


そんな何気ない日常とは、少し違うバカンス。


とにかく毎日予定があって、
こどもがいる制約はありますが、好き勝手やってました。


そんな夏休みが終わって思うこと。




1、
ブログやらなきゃ。




そう、自分探しのためにはじめたブログ。
やってないってことは、自分探しが出来てないのと同じ。

もしくは、見つめ直すことが出来てないのと同じ。



はじめた当初は、アクセスが0でしたが
こんだけ放置しても、ある程度のアクセスがあるということは

書けば書くほど、見てくれる人が増えるということ。

もっと、気合いを入れてやらなくちゃ。



2、
あとは、
ブログのために生活をしない
ということを学びました。

ブログネタのために1日の貴重な時間を遣う…じゃなくて、
貴重な時間を遣ったことを、ブログに書く

この微妙な違いのスタンスって、結構重要です。


記事を書くのって、10分以上かかる。

それを、この10分のために1時間遣うのか



それとも1時間遣った結果を、10分でまとめるのか。

結果なら10分未満でまとめることが出来る。
何故なら、もう終わったことだから。
その経験が長ければ、分割することもできる。



そして、本来ならいらないこの記事も、

自分が読み返すとなると話しは別です。



たぶん、SEOにもかかってこないし
アフィリエイト的にもどうでもいい記事だし、
むしろ自己紹介していない時点で、読まれることもない

そんな「夏休みを終えて」は、
自分にとってはリアルが書かれている。




しかも、時間が経って間もない"生"の状態。




これ以上、自分に対してのリアルな感想って出てこない。

そういう意味で、事後報告的にブログを使うと有効です
ってことを学びました。



3、
ムダな時間など存在させない


人間、この有限な時間をいかに遣うかで
有意義などが決まってくると思いますが、

人によっては、そんな時間に縛られたくない
と思う人もいるようで、人間っておもしろいなーとつくづく感じます。


僕の場合は、とにかく自分のことで時間をつかいたい。
もしくは家族。

ちょっとしたムダを感じると、ストレスになります。
ストレス解消に、このムダを正当化してストレスを軽減されるんですが、
結局のところ自分にとってはムダなわけです。


例えば、誰かと話してた時に
相手が「うーん…」と悩み出しました。

それが10秒も続くと、それをムダな時間と僕は感じるんです。


ネットでクリックして10秒経っても読み込まないと、
僕はムダと感じます。


その間の時間を、
「この時間で考えごとが出来る!」
「普段休められない脳を休められる!」
と、勝手にポジティブに解釈して
ストレスを軽減させます。



そういう行為をやめたい。



そうじゃなくて、自分色にもっと染める。
無理かもしれないけど、自分中心に話すし

自分が楽しければいいや

結果、ちょっと変わった人みたいに思われても

自分が楽しければいいや

の、精神。



だって、貴重な自分の時間だもん
自分の好きなようにつかいたい。

もちろん、相手もそう思ってる

その意識のバランスが、必要になってくるんじゃないか?


その意識のバランスを取ろうとせず
楽を求め自分を犠牲にし、ポジティブな正当論を押し付ける。



そんなんじゃ、いい人間になれない。
自分をコントロールした上で、エゴを出す。
結果、自分の時間を有意義につかう。


自分の時間は限られています。

有意義につかいたい、と思いました。




まだいろいろ考えていましたが、
とりあえずこれが思ったことのうちの数個です。

分かったか、将来の自分よ!!!!